重度のPTSDから再起しカンボジアの病院給食を作る人へ。料理人トモさんにインタビューしてきた

こんにちは!ちづみ(@098ra0209)です!カンボジアのトークンハウスに滞在中、カンボジアの病院で給食プロジェクトに取り組むトモさんと出会いました。

みんなに少しでも元気を届けられるように、カンボジアの医療の現状を知ってもらえるようにと、強い想いで語っていただきました。長文になりましたが、想いがこもっているので読んでいただけたら嬉しいです!

トモさんの紹介

 

野村友彬(のむらともあき)さん

平成7年生まれ現在23歳

料理をするのがとにかく大好き。

大阪府吹田市出身。辻調理師専門学校入学してから3年割烹料理屋で働くもPTSDになる。

現在はジャパンハートカンボジアこども医療センター 給食事業リーダーに就任。カンボジアで医療に携わる料理人に

トモさんのツイッターはこちら

 

 

ジャパンハートとは

 

「日本発祥の国際医療NGO」として

医療の届かないところに、医療を届ける”という理念の元、

  • 途上国支援
  • 日本と僻地・離島医療
  • 人と患者のこころのケア
  • 災害医療

を行う。医療活動のみならず、医療という切り口から、活動は多岐に渡る。ジャパンハートの詳しくはこちら

 

 

3年間の割烹屋の見習い→ブラックすぎてPTSDに

僕の実家はケーキ屋を営んでるんですけど、父親ががっつり洋菓子の下積みをしてきた人だったので、

「努力して続けてなんぼなんや!我慢が必要なんや!」「何が何でもやり通さなあかんのやで!やめるのは逃げや!」
という教えを小さい頃から叩き込まれました。

僕は高校でがっつり野球に打ち込みましたが、みんなが「だるいな」と思うことも「いやこれはこうでこういう理由があるからや。」と落とし込む力は誰よりもピカイチにあったと自負しています笑。モチベーションを操作する力というか。

で、調理の専門学校に入って、夫婦で営む高級割烹屋で働いていたのですが、思えば相当なブラックで笑。何をやっても否定で罵声を浴びせられるし、殴られるような事は日常的にありましたね。

掃除から食材の下処理、セッティング、酒や食材、調味料の発注まで、全て僕全部僕一人でやって、大将は開店の10分前に来て仕上げをやるだけ。多いときは一日20時間くらい働いていました。でも

 

トモ

これも意味があるからなんや!耐えるんや!

トモ

我慢やで〜!やり通すんやで自分!

 

と思ってたんです。昔からそう教えられていたので。殴られようが否定されようが、何をやられても「意味があるから頑張らなあかん」のマインドでした。家族に現状を話したら、怒られるんじゃないかと思ってましたし、友達や知り合いにもカッコ悪いこと言えなくて。

でもこれがほんとに危険でした!

 

やめるきっかけになった出来事があって、

仕入れ先の酒屋さんへの挨拶が気に食わなかったのか、喉を殴られてご飯が食べられなくなったことがあって、それを兄貴に電話でこっそり打ち明けたんです。「親父には言わないでくれよ。。」って言いながら。親父には「そんなん耐えろ!!」って絶対怒られると思ってたんで。

でも兄貴がぽろっとその出来事を親父に言ってしまったみたいで、そしたら親父から電話かかって来て、

「そんなとこはよ辞め!!!なんで辞めへんねんお前!!!」

て言われて。その言葉聞いて、僕その時ピークで体も心もボロボロやったんですけど、

トモ

なんやねん〜!辞めてよかったんかい〜!!はよ言ってや〜〜!!

渾身のツッコミしましたね。関西人の僕、今までの生きて来た中で一番の魂込めたツッコミしました笑

ツッコミを炸裂させると同時に、自分が良くない職場に居るんだ。というのが初めて理解できました。

ほんで辞めてそのあと病院行ったら、重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害の診断が出ました。

我慢をしていたら、気づかぬうちに心と体がすり減っていたんですね。

 

PTSDとの戦い

 

店で働いて居る時も吐いたり、怒られて居るときに急に体が固まって倒れてしまったりしていましたが、実際は仕事をやめて病名を聞くとマイナスな症状が全て自分の中でPTSDに繋がって行って、症状がたくさん見つかっていきました。料理するのは大好きだったはずなのに、包丁が握れなかったり、レストラン行っても厨房が見えただけで吐いたりでした。

それからしばらくは自宅で療養してたんですど、

病院に行って治療を受けながら、どうにか現状から脱出しようという思いが強くなって、ご縁を繋いでくように勤めました。その中で、ジャパンハート最高顧問の奥さんとの出会いがありました

で、その奥さんにいい病院を紹介してもらって、そこでだいぶPTSDが軽減することができました。

治療法をちょっと紹介すると、長時間暴露療法っていうんですけど、僕の場合はたくさんありすぎて断定できなかったので、最後に大将に喉を殴られた時にしたんですけど、その時の様子の一部始終を全部自分の口で説明して、さらにその中で感情がどう動いてるかを数値で言うんです。それを録音して後でなんどもなんども聞き返します。

あとは、PTSDになってからできなくなったことを全部挙げて、それを辛い順に点数をつけていきます。一番下の辛くないところから徐々に達成してってこともやっていきました。達成して、自分に自信をつけていくんです。

かなり辛かったんですけど、この治療したらこんだけよくなるんだよ。というのを教えてくれて、それを信じてやるのみでした。だんだんとあの辛かった出来事は過去のことやったんや。今はもう大丈夫なんやっていう自覚が出て来て、その治療でかなり軽減できた感じですね。

そのジャパンハートの最高顧問の奥さんつながりで、最高顧問の吉岡先生とつながりができて、「今カンボジア で医療してるんだけど、料理人として関わってくれないか」というお話をいただいて、ジャパンハートの給食事業部の立ち上げに参加させていただくことになりました。

 

料理はしたいけど、いきなり料理屋に入るのはトラウマがすごそうで怖かったですし、料理を通して今までと違うことをしたい、人の役にたちたい。ずっと前から仕組まれてたとしか思えないくらいにたくさんの条件が揃って、運命やなと思ってジャパンハートにジョインしました。

 

給食センターの全てを任される

 

ここに給食センターを建てます

カンボジアの給食センターの立ち上げプロジェクトリーダーとして動いています。給食センターを立てるところから自分が担当してるので、建築から資金調達まで、未知の領域も任せていただくことになりました。

今まで料理しかやってこなかった自分にとって、こんなんできる??とは思うのですが、プロジェクトを回す機会をいただけることが本当にありがたいです。めちゃくちゃやりがいを感じています。

 

 

ジャパンハートに行ってみて

 

 

ちづみ

実際、私もジャパンハートさんが運営する病院を視察させていただいて、こんなにも使命感を持って活動している日本人、カンボジア人の方がいるんだと、、心打たれました。

給料のためとかじゃなく、今ある問題を本当に解決したい。自分のできる精一杯のことをしたいという姿勢の方達ばかりです。この病院がなかったら助けられないひとが何千人といる、毎日毎日死と隣り合わせの患者さんと関わっているからこその、並ではない使命感を感じました。

トモ

そうなんですよ、本当に現場は使命感であふれていて、寮でも夜中患者さんのこととか、熱意を語り合っている日々ですね。

ちづみ

そうですね、熱意は現場に行ってみて強く感じました。あと、カンボジアの方の家族は24時間ずーっと一緒にベットに寄り添ってるんですね。看護師の仕事の部分の食事も着替えも体を拭いたりも、全部家族が寄り添ってやられていたのが印象的でした。

トモ

そうですね、カンボジアでは当たり前のように家族が入院した時はずっと付き添ってケアしています。その分家族支援もまだまだ手が足りていない状況です。。!

僕らとしても実際に来てもらって初めて感じる点がたくさんあると思っています。カンボジア までくるのは正直難しいと思うけど、実際に来て感じて欲しいという想いは強いですね。

 

カンボジアの状況

 

迷信、無知

カンボジアはポルポト政権の影響で国民の4分の1が虐殺され、その影響でカンボジア 国内の医師は40人になったと言われています。

そこから政府は新たに医師を量産するため、指導者も不十分なまま、たった1年のみのカリキュラムで医師として認定し、世に送り出してしまいました。

そのため人々は医師への信頼がなく、民間療法などに頼るようになりました。でもその療法もなんの根拠もないことばかりで、例えば妊婦の間で広まってるのが、

「エコー写真を撮ると、赤ちゃんが弱くなるからダメだとみんな言っています。」

「妊娠中に芋を食べると、ベトベトの肌の赤ちゃんが生まれると聞きました。」

 

といった感じで、迷信を信じている方が多い。あとは保険も無いので、医療費がとてもかかります。救急車を呼ぶのもお金がかかる状況です。医師への信頼と金銭の問題で、病気になっても病院は行かない、行けない人が多い状況です。でも医療の関心はあって、みんなやり方を知らないだけで、気持ちはある。努力の方向が間違っているんです。

なので、病院に運ばれてくる方は重症の方が多いです。もっと早くから来ていれば軽度の治療で済むはずなのに、、最悪な状態になるまで病院にかからない状況をなんとかするべきです。

 

食の栄養に対しても、本当に無知です。野菜に栄養があるなんて意識は本当にないに等しい。

医療だけよくなってもダメだと思っていて、医療の前の段階、予防や健康意識の段階で変わっていかなければいけないと思っています。

ジャパンハートはおかげさまで、この2年間でだいぶ病院も大きくなって受け入れの数は多くできるんですけど、根本を見直さないと、病気になる人の数自体は変わらないんですよね。

 

 

今本当に求めている支援

 

今求めているのは、もちろん支援金もそうですが、それよりも本当に求めている一番は医療者を支えるための土台作りのところですというのはどちらかというと、医療以前のところで医療関係なく、いろんな業種の方の力が必要です。そこがまだ本当に不十分です。

医療関係者以外はなにもできないということはなく、むしろ医療関係者以外の人の目線や援助が必要だと思っています。

僕は料理人なので、医者ではないんですけど、医療者の人たちを間近で客観的に見てみると、みんな医療に一直線で取り組んでいる人たちばかりです。医療のことで精一杯で、他に目を向ける時間も労力もない。医療者が100%のコンディションで医療ができる体制がまだまだ追いついていない状況です。例えば清掃とか、わかりやすいカルテを作成するとか、家族の支援とか。いろんな業種の人が関わるところで新たな視点が生まれます。しかも医療者でなくても、人の命と密接に関わる現場にいるからこそ感じられる物が必ずあります。今は全員が全員できることに熱意を持って全力で走っている状態なので、圧倒的にコーディネートする人が不足しています。医療者はもちろんですが、いろんな人に関わってもらいです。

自分のミッションは小児の患者さんに安心で安全な食事を提供することです。そこからカンボジアの衛生、栄養の意識をもっと広めていって、予防できる病気を予防したり、栄養を摂取することによって治療を有利に働かせたい。

 

料理への想い

 

僕は料理が本当に大好きなんです。なぜかというと、美味しい料理を振舞って、人が幸せになってくのが目に見えるから。こんなに目に見えること他にないなあと思っています。

あとは、人のことを考えながら料理を作るのも大好きで。「あの人野菜不足してるから多めに入れなあかんな」、「あの人あれ好物やから作ったろ」とか。相手を思いやったら自分も思いやってもらえる感じがするんです。

 

 

ジャパンハートへの想い

 

ジャパンハートで活動することは社会貢献、国際貢献というより、僕は自己満だと思っています。

自分のPTSDを治していった時みたいに、役に立つことをして自分に自信をつけたいって気持ちです。前の大将には腹が立ちますが、PTSDがひどかった時は本当にいろんな人にめちゃめちゃお世話になって、本当によくしてもらったんです。その恩はここで返したいと思っていますし、あの人より社会に貢献して見返してやるぞ、という気持ちです。

今やってることは自分がアクションを起こしたその還元の先がはっきりしてるんです。栄養のある料理を届けて、自分が頑張ったらよくなる人が目に見えてるのに頑張らない理由がない。

 

みんな自分のためじゃないと本当には一生懸命になれないと思っています。

 

 

おわりに

 

ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございます。

この記事を通して伝えたいことは、ジャパンハートへの支援もそうですが、一番は僕みたいな奴もいてはるんやー!とか、こんな活動してて実際はこんな支援求めてるんや!!って知っていただけただけでも最高です!

何かあれば直接DMください!by野村友彬

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